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岡山地方裁判所 昭和40年(行ウ)11号 判決 1969年7月10日

原告 村上正恵

右訴訟代理人弁護士 松岡一章

同復代理人弁護士 服部忠文

被告 岡山税務署長 西村隆

右指定代理人 小川英長

<ほか五名>

主文

一、被告が昭和三八年三月一二日付で更正し、昭和四〇年六月二一日付審査決定により減額された。

(一)  原告の昭和三四年分所得税について、所得金額を八八三万九九五四円、所得税額を二五八万三六五〇円とする更正処分のうち、所得金額につき七七六万四九五四円、所得税額につき二〇四万五六五〇円を超える部分、

(二)  過少申告加算税八万八一五〇円の賦課決定のうち六万一二五〇円を超える部分、

を取消す。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを一〇分し、その七を原告の、その余を被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告

(一)  原告の

(1) 昭和三四年分所得税について、被告が昭和三八年三月一二日付で更正し、昭和四〇年六月二一日付審査決定により減額された、所得金額を八八三万九九五四円、所得税額を二五八万三六五〇円とする更正処分および過少申告加算税八万八一五〇円の賦課決定、

(2) 昭和三五年分所得税について、被告が昭和三八年三月一三日付で更正し、昭和四一年七月二三日付審査決定により減額された、所得金額を一五四一万三七九八円、所得税額を三九三万六一八五円とする更正処分および過少申告加算税九七〇〇円の賦課決定、

をいずれも取消す。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告

(一)  原告の請求はいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

第二、請求の原因

一、(一) 原告は、

(1)  昭和三四年分所得税について、所得金額五二一万四九五四円、所得税額八二万二八〇円とする確定申告を、

(2)  昭和三五年分所得税について、所得金額一五九二万二七九八円、所得税額三七四万一五八〇円とする修正申告を、

それぞれ被告に対してなしたところ、

(二) 被告は、

(1)  昭和三八年三月一二日付で、昭和三四年分所得税について、譲渡所得の申告洩れありとして所得金額一一七四万三三〇四円、所得税額四一一万二六四〇円、過少申告加算税一六万四六〇〇円とする更正および賦課決定の各処分をなし、

(2)  昭和三八年三月一三日付で、昭和三五年分所得税について、譲渡所得の申告洩れありとして所得金額一七一一万三七九八円、所得税額四九八万七八三五円、過少申告加算税六万二三〇〇円とする更正および賦課決定の各処分をなし、

いずれもその頃原告に対して通知した。

(三) 原告は、昭和三八年四月九日被告に対し右各処分に対する異議申立をなしたところ、国税通則法八〇条一項二号により広島国税局長に対する審査請求がなされたものとみなされ、同局長は昭和四〇年六月二一日付で右各処分のうち一部をいずれも取消し、

(1)  昭和三四年分所得税について、所得金額八八三万九九五四円、所得税額二五八万三六五〇円、過少申告加算税八万八一五〇円とする裁決をなし、

(2)  昭和三五年分所得税について、所得金額一五四一万三七九八円、所得税額四六九万三八五六円、過少申告加算税四万七六〇〇円とする裁決をなし、

いずれもその頃原告に対して通知した。

(四) そこで原告は、昭和四〇年九月二九日本訴を提起したのであるが、同局長は昭和四一年七月二三日付で右昭和三五年分所得税についての裁決の一部を取消し、所得金額は前裁決どおり、所得税額三九三万六一八五円、過少申告加算税九七〇〇円とする裁決をなした。したがって、被告の前記各更正および賦課決定処分は、いずれも右の限度において効力を有している。

二、しかし、昭和三四年および三五年を通じて原告には譲渡所得は全く存しないから、被告のなした本件各更正および賦課決定処分はいずれも違法であり、取消されるべきである。

(一)  被告が原告の申告所得洩れを認定した根拠は、

(1) 原告が昭和三四年中に、東京都文京区湯島天神町三丁目一七番の三宅地九八坪九合(以下湯島土地という。)および東京都三鷹市下連雀字橋上北浦二二五番の一宅地五八坪九合六勺(以下三鷹土地という。)の各土地をそれぞれその所有者より買受け、これらを訴外東洋不動産株式会社の前身である今橋商事株式会社へ転売したことにより生じた譲渡益、

(2) 原告が昭和三五年中に、神奈川県相模原市清兵衛新田本町二七二番地宅地一三九坪六合八勺(以下相模原土地という。)の土地をその土地所有者より買受け、これを前記(1)の場合と同様東洋不動産株式会社へ転売したことにより生じた譲渡益、

がそれぞれ存在するとしたものである。

しかし、原告は前記湯島土地、三鷹土地、相模原土地(以下本件各土地ともいう。)の買受けおよび転買について単なる名義人となったに過ぎず、実質上は東洋不動産株式会社が本件各土地を買受け、その所有者らに対する土地代金、立退料、不動産仲介業者に対する手数料の支払をなしたのであり、このような売買形式がとられた背景には以下のような事情が存在する。すなわち、原告が代表取締役をしている株式会社正金百貨店は、従前より大阪市北区神明町五〇番地に土地を所有していたが、株式会社三和銀行の子会社で不動産関係業務を専門に扱っていた前記東洋不動産株式会社(当時の商号は今橋商事株式会社)より右土地の売却方の交渉をうけ、原告は税金問題などのことからこれを拒絶したが、東洋不動産の懇請により代替物件たる他の土地との交換であればこれに応じてもよいと承諾したところ、東洋不動産より本件各土地の他千葉市および千葉県柏市に所在する土地を各所有者より買収したうえ、これらを代替物件として正金百貨店に提供するとの申出があった。しかし、東洋不動産が直接の当事者となってこれらの土地の買収を試みると、同会社が大銀行である三和銀行の子会社であることを察知した売主側は買収資金を豊富に有する銀行が背後に控えているとして売却価格を不当に釣り上げる虞れがあったため、同会社の要請により東京方面に名を知られていない原告個人が買主としての名義を貸すこととなり、またこれに伴なう必然的な結果として同会社が本件各土地を買収するため現実に支出した額と同額で原告から同会社へ本件各土地を売却する売主としての名義人になったのである。したがって、単なる名義上の買主および売主に過ぎない原告には本件各土地の譲渡による譲渡益の発生する余地は全く存しないことが明らかである。

(二)  仮に、原告が本件各土地の買収および東洋不動産に対する売却に際して実質上の買主および売主であったとしても、後記第四、において述べる如く、原告は本件各土地を買収後直ちに買収価格と同額で同会社へ売却しているのであるから、その間にいわゆる転売差益は全く生じていない。

第三、被告の答弁および主張

一、請求原因一、の事実は認める。

二、請求原因二、の事実は争う。

(一)  原告の昭和三四年分所得税に関する総所得金額は八八三万九九五四円であり、これは不動産所得、事業所得給与所得の合計五二一万四九五四円(右各所得はいずれも原告申告どおり承認された。)に、譲渡所得三六二万五〇〇〇円を加えたものである。

被告が右譲渡所得を認定したのは、左記の理由による。

原告はいずれも昭和三四年中に、

(1) 湯島土地を三六七九万円で買受け、これを訴外今橋商事株式会社(東洋不動産の前身)へ三九一九万円で売却したから、右の転売により譲渡益二四〇万円が生じている。原告が右土地を買受けるに際して支出した費用の内訳は、

(イ) 土地所有者千田正治に対する土地代金   二三六二万円

(ロ) 借地権者長岡倖江に対する立退料      八七〇万円

(ハ) 借地権者宮橋清に対する立退料       三六〇万円

(ニ) 不動産仲介業者松田商事他一名に対する手数料 八七万円

合計                      三六七九万円

である。

(2) 三鷹土地を八六〇万円で買受け、これを今橋商事へ一三六〇万円で売却したから、右の転売により譲渡益五〇〇万円が生じている。原告が右土地を買受けるに際して支出した費用の内訳は、

(イ) 土地所有者株式会社美多加堂に対する土地代金  八〇〇万円

(ロ) 不動産仲介業者松田商事他一名に対する仲介手数料 六〇万円

合計                         八六〇万円

である。

(二)  原告の昭和三五年分所得税に関する総所得金額は一六二二万七七九八円であり、これは配当所得、事業所得、給与所得の合計一五九二万二七九八円(右各所得はいずれも原告申告どおり承認された。)に、譲渡所得三〇万五〇〇〇円を加えたものである。被告が右譲渡所得を認定したのは左記理由による。

原告は昭和三五年中に、相模原土地を五九八万円で買受け、これを東洋不動産へ六七四万円で売却したから、右の転売により譲渡益七六万円が生じている。原告が右土地を買受けるに際して支出した費用の内訳は、

(イ) 土地所有者榎本はる、山田芳子、茶木ソヨに対する土地代金 五七八万円

(ロ) 不動産仲介業者松田商事に対する仲介手数料         二〇万円

合計                              五九八万円

である。

以上のとおりであり、被告は右各譲渡益に所定の控除等を行なったうえ原告の昭和三四および三五年分譲渡所得を計算し、これに譲渡所得以外の前記各所得を加えたうえ、これらより各種所得控除額(昭和三四年分一九万七五〇〇円、昭和三五年分二一万五八三〇円)および源泉徴収税額(昭和三四年分九四万八〇五〇円、昭和三五年分二三七万四九八九円)をそれぞれ差し引いて請求原因一、(三)および(四)記載のとおり右各年分の所得税額および過少申告加算税を算出したものであるから、本件各更正および賦課決定処分に違法な点はない。

第四、被告の主張に対する原告の答弁および反論

一、原告の昭和三四年分所得として不動産所得、事業所得、給与所得があり、その合計額が五二一万四九五四円であることおよび同年分の所得控除額、源泉徴収税額は認める。しかし、被告主張の譲渡所得は前記第二、(二)に述べた如く原告には発生していないから、原告の同年分所得金額は右五二一万四九五四円を超えるものではない。

(1)  原告が湯島土地を東洋不動産の前身である今橋商事へ三九一九万円で売却したこと、原告が右土地を買受けるに際して、土地所有者千田正治へ土地代金として二三六二万円、借地権者長岡倖江へ立退料として八七〇万円、不動産仲介業田松田商事他一名へ手数料として八七万円支払ったことは認める。しかし、原告は借地権者宮橋清へ被告認定の三六〇万円ではなく、六〇〇万円の立退料を支払っており、これは左記の事情によるものである。

当時東京地方においては、土地の売買に際し、表契約と裏契約の二通の契約書を作成し、表契約書には真実の契約である裏契約の約六割相当の金額を記載することが慣行として一般に行なわれていた。右の慣行が一般化したのは、近年における東京地方の地価の高騰や借地権価格の高比率が土地売買の円滑化を阻害していたうえ、土地売買に伴なう所得税、不動産取得税等の税率が高かったためで、このような二重契約を行わなければ土地売買は事実上不可能な状況にあったのである。そして、右土地の売買に際しても、土地所有者千田、借地権者長岡との間にそれぞれ前記表、裏の二重契約がなされ、所轄税務署には表契約による金額が申告されたのであり(もっとも、右両名の場合は税務署がその後行なった調査によって二重契約の事実が発覚し、真実の契約である裏契約による税金を追徴された。)、宮橋の場合も同様に、被告の認定した三六〇万円は原告が現実に支払った裏金額たる六〇〇万円のちょうど六割に相当する表金額に過ぎないのである。

(2)  原告が三鷹土地を今橋商事へ一三六〇万円で売却したこと、原告が右土地を買受けるに際して、不動産仲介業者松田商事他一名へ手数料として六〇万円を支払ったことは認める。しかし、原告は土地所有者株式会社美多加堂へ土地代金として現実に一三〇〇万円支払っており、これは前記(1)同様、右土地の売買も美多加堂との間に表、裏の二重契約がなされ、被告の認定した八〇〇万円(一三〇〇万円の約六割に相当)は表金額に過ぎないのである(もっとも、美多加堂は右土地代金一三〇〇万円のうちより五〇〇万円を、不動産仲介業者横田勝義に対する手数料および右土地上の建物に居住していた崔点金他一名に対する立退料として支払っているが原告の関知するところではなかった。)。さらに、当時の東京地方における不動産仲介手数料率は東京都知事により売買価格の三ないし五パーセントと定められていたが、もし八〇〇万円が右土地の真実の売買価格であったとすれば、原告の支払った手数料六〇万円は前記制限率をはるかに突破した七・五パーセントという異常な高率となるのに反し、原告主張の一三〇〇万円を基準にすれば四・六パーセントと制限内であるから、この点からみても被告の認定した右土地代金が八〇〇万円との認定は如何に不合理であるかが明らかである。

二、原告の昭和三五年分所得として配当所得、事業所得、給与所得があり、その合計額が一五九二万二七九八円であることおよび同年分の所得控除額、源泉徴収税額は認める。しかし、被告主張の譲渡所得は前記第二、(二)に述べた如く原告には発生していないから、原告の同年分所得金額は右一五九二万二七九八円を超えるものではない。

原告が相模原土地を東洋不動産へ六七四万円で売却したことは認める。しかし、原告は右土地をその所有者である訴外東都工栄株式会社および小平喜七から買受けるに際して、土地代金六四九万円、不動産仲介業者松田商事に対する手数料として二五万円合計六七四万円を支払つているから譲渡益は生じていない(もっとも、東都工栄および小平は右土地代金六四九万円のうちより、(イ)右土地上の建物所有者榎本勝仁の破産管財人吉井元市に対する立退料として一七万円、(ロ)不動産仲介業者斎藤環、小嶋博、大内辰次郎、草壁某四名に対する手数料として計四〇万円、(ハ)東都工栄に対する名目不明の支払金として一四万円、合計七一万円をそれぞれ支払っているが原告の関知するところではなかった。)。なお、右土地の売買においても、当初は前記慣行どおりの二重契約がなされることとなっていたが、地上建物所有者榎本らの立退が予想外に難行し、立退料その他の経費が増大した模様であり、最終的に作成された表契約書には裏契約の約八割相当の金額が記載された。

第五、証拠≪省略≫

理由

一、本件譲渡取得の発生の可能性について

原告は、本件各土地の取得および譲渡に関し、原告は実質上の買主である訴外今橋商事株式会社(後に東洋不動産株式会社)の要請により形式上の買主および売主として名義を貸し与えたに過ぎないから、原告について譲渡所得の発生する余地はない旨主張するので、まずこの点について判断する。

≪証拠省略≫によると次の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

(1)  原告は、岡山市に本店を有し月賦販売を主要業務とする訴外株式会社正金百貨店の代表取締役社長であるが、昭和三〇年頃同百貨店の取引銀行であった訴外株式会社三和銀行より、同百貨店の所有で大阪梅田営業所が所在していた大阪市北区神明町五〇番地の土地(約一一〇坪)を譲り受けたい旨交渉をうけたが、正金側としては右梅田の土地をそのまま譲渡すれば多額の法人税等を支払わなければならないうえ、原告は東京出身で以前東京でも月賦販売業を営んでいたこともあって、いずれは東京へ支店を進出させる夢を抱いていたため梅田土地に見合う東京方面の適当な土地との交換であれば応ずるとの方針で臨んだところ、三和側もこれを諒承するに至った。もっとも、両当事者間においては梅田土地の時価について正金側は約一億二〇〇〇万円、三和側は七〇〇〇万円から八〇〇〇万円程度とその評価に可成り開きがあったが、結局、最終的な交換条件については後日にゆだね、一応一億円程度を基準とすることに合意が成立した。

(2)  そこで、本来なら、右価格に相当する東京方面の土地を三和側において調達し、これを正金側に提供しなければならないのであるが、一般に不動産取引において銀行が買主となる場合、売主側は買受資金が豊富であることに目をつけ、売値を釣り上げ適正な相場価格より高くなる虞れがあったため、これを嫌った三和側は正金側に対して左記のような要請をなし、正金側もこれを諒承した。すなわち、まず正金側の自主的な判断に基づき東京方面の適当な土地を物色し、その買受交渉および買受契約も東京方面に名の知られていない原告個人名義でこれを行ない、交渉の結果成立した買受価格が三和側からみて適正と判断された場合、三和銀行の子会社で不動産業務を専門に扱っていた今橋商事株式会社(昭和三五年五月二八日商号変更により東洋不動産株式会社となる。)を通じて買受資金を原告に交付し、これを原告が売主に支払い決済して一旦現実に土地を取得した後、さらに三和側が原告に交付した買受資金額をもって原告から今橋商事へ右買受土地を売却する形式をとる、というのがその要請の内容であった。

なお、原告が代替物件としての土地を取得した段階で、直ちに梅田土地を三和側へ提供することによる事実上の交換が行なわれなかった(したがって、双方の土地は当分の間相互に賃貸借関係にしておくこととされた。)のは、前記の如く最終的な交換条件が未だ確定していなかったことより、将来において万一現実の交換が不調に終った場合に備えて、三和側が代替物件たる土地について瑕疵がある場合の売主の担保責任、損害賠償責任などを原告に追求することを可能ならしめるため原告から今橋商事が買受ける形をとっておく必要があったこと、およびちょうどその頃法人税法施行規則が一部改正となり(昭和三八年三月三一日政令八六号)、土地、建物等を交換した場合に圧縮記帳による非課税の特典が認められるようになったが、これには交換に供する土地等を交換以前に一年以上保有していることが条件として定められていた(改正後の同規則一三条の六、一項)ことの、最終的に土地交換が実現するまでの過程において生ずる虞れのある不測の損害および無用な出費を極力回避しようとする三和側の周到な配慮に基づく理由からであった。

以上の取決めに基づき、原告は当時正金百貨店営繕課勤務の社員で、原告がかつて教職の地位にあった頃の教え子にもあたる古林寿生に東京方面の代替土地の選定、買受交渉事務等に関する全権を委任し、同人は昭和三三年一〇月頃より東京において不動産仲介業者小嶋博、松戸広太、小平喜七等と接触し、買受工作を開始したが、東京都内において一箇所にまとまった土地で一億円相当の恰好なものは見出せなかったため、代替土地の選定は本件各土地の他千葉市および千葉県柏市所在の土地等数箇所に分散されることとなった。

(3)  一方、三和側としては代替土地の買受資金を現実に支出し、さらに子会社である今橋商事が右土地を一旦取得する関係上、当然東京において正金側と緊密な連絡を保つと共に、正金側の土地買受工作の過程を背後から監視する必要があったが、当時今橋商事は東京に支店もしくは事務所を有していなかったため、右の事務に関する全権を三和銀行東京総務部へ委任し、これに応じて同総務部では、自から不動産鑑定士の資格を持つ調査役安江茂とその部下である書記吉田六郎の両名が主としてこの仕事にあたることとなった。そして、三和側の調査の要点としては、原告の土地買受価格が一般の相場よりみて適正であること、および原告の土地所有権取得手続に遺漏のないことの二点が重視され、安江、吉田両名は原告の選定した土地の現地見分、土地登記簿謄本の取寄、土地所有者と原告との売買契約書の確認、契約書に押捺されている土地所有者の印鑑照合、税務署に備えてある土地評価基準図面の参照等の諸調査を一応行なつたが、古林の言を信じ右以上に踏み込み、土地所有者、借地権者、不動産仲介業者等と直接に接触したりするようなことはなかった。なお、本件各土地の買受資金は、いずれも数回に分けて三和側より本件各土地の買受交渉につき原告から全権を委ねられていた古林へ交付され、このうち湯島土地の第一回(手附金)支払いの場合のみは三和銀行東京支店において三和銀行職員が立会のうえ、古林より土地所有者らに対し現金が手渡されたが、右以外の場合はほとんど古林が予め三和側より受領した買受資金を各不動産仲介業者を通じて土地所有者らに対し支払いを行なった。

(4)  このようにして、一旦原告が買受けた後今橋商事(昭和三五年五月二八日以降東洋不動産)が所有するところとなった本件各土地および千葉市ならびに千葉県柏市の各土地と正金百貨店所有の前記梅田土地は、その後交換条件に関する協議が整い、租税特別措置法の一部を改正する法律(昭和三八年三月三一日法律六五号)により特定の資産の買換えの場合等における法人税の課税に関する特例(改正後の同法六五条の四)が認められるようになった昭和三九年頃、相互に買換えのための譲渡という形式により事実上の交換が行なわれ、正金側と三和側間における大阪と東京の各土地の交換はここに完了するに至った。

以上の認定事実によれば、三和側は原告より代替土地の買受価格として示されたところが一般相場からみて一応適正であると判断した以上、前認定の如くもっぱら三和側の事情により正金側に負担させることとなった代替土地の選定、買収に要する労力、経費、時間などが決して少なくないこととの関連よりも、原告が三和側より受領した買受資金を現実に如何なる割合で土地所有者や不動産仲介業者等に配分して支払うかについてはあえて容喙せず、したがって原告が右買受資金をその裁量に基づき操作することにより土地所有者らに現実に支払う金額を三和側に示した買受資金額より低額に押えその間の差額を或る程度利得することも黙認する意向であったことが推測される。≪証拠省略≫によれば、古林は原告名義で不動産仲介業者に支払った手数料の領収書を三和側に交付することなく、本件が発生するまで手もとに保管していたことが認められ、右の事実は前記三和側の意向を裏付けるものであり、さらに後記の如く本件各土地の売買に関し、原告が現実に転売利益を収めているものと認められることに鑑みれば、原告に本件譲渡所得の発生の余地はないとする原告の主張は到底採用することができない。

二、本件譲渡所得の帰属およびその金額について

そこで、以下本件各土地の売買に際し原告に転売利益としての譲渡益が存したか否か、および譲渡益があるとすればその金額、に関する各争点について判断する。

ところで、課税処分の適法性を主張する税務官庁は、ほんらい譲渡所得の算定にあたり、算定の基礎となる総収入金額のみならず、取得価額、設備費、改良費、譲渡経費(本件各土地が売買された当時施行されていた所得税法九条一項八号)のすべてについて立証責任を負担するものと解すべきであるが、税務官庁は譲渡所得の発生源泉となる各取得および譲渡取引の直接の当事者ではないから、いかなる相手とどのような内容の取引をなしたかについては、納税義務者がその取引に関する正確な記帳を行なっていない限り、これを確実に捕捉することは事実上不可能といわなければならない。これを本件についてみると、本件各土地の売買に関し原告が単なる名義人にとどまらず、三和側の今橋商事と本件各土地所有者らの間にあって中間利得を収めうる余地のある立場にあったことは前認定のとおりであり、本件において原告の総収入金額にあたる原告より今橋商事に対する本件各土地の売却価格(実質上は三和側より原告へ交付された本件各土地買受資金)は当事者間に争いがない。そして、原告は取得価額および譲渡経費(本件各土地所有者に支払った代金額、借地権者等に対する立退料および不動産仲介業者に対する手数料の額等)について、広島国税局長に対する本件審査請求の段階において、一旦はこれらの点を証明する具体的資料を協議団へ提出することを約しながら殆んどこれを果さなかったため、協議団側では東京国税局に嘱託して本件各土地売買の関係者らに対する面接調査等を行なったことが認められ、また後記の如く被告が右の調査に基づく一応の立証を尽した以上、被告の認定しえた額を超える多額を主張する原告が具体的にその支払額、相手方等を明らかにしえない限り、本件各土地の売買により発生した譲渡所得が原告に帰属するものと認められてもやむを得ないというべきである。なるほど、後記の如く、税金対策を目的としたいわゆる表、裏の二重契約において、真実の金額を記載した裏契約書は代金完済、登記手続完了の際、その後の税務署による調査の手掛りとなることを隠蔽するため、契約当事者双方の面前で相互にこれを提出して破り捨てるならわしであることが≪証拠省略≫から認められるが、領収書等その他の関係書類一切も破り捨てられるものか否かは、前記の如く古林が不動産仲介業者より受領した領収書を保管していた事実よりみても明らかではなく、さらに≪証拠省略≫によれば、相模原土地の一部を訴外東都工栄株式会社から原告へ売却する際作成された裏契約書を、古林は契約手続完了に至ってもこれをそのまま手もとにとどめていたことが認められ、原告側において裏契約の実体を明らかにすることは必らずしも不可能であるとはいえないから、本件における表、裏の二重契約の運用に関する右特殊性を考慮に入れても、なお前記結論を左右するには至らない。

(一)  湯島土地について

原告が昭和三四年中に湯島土地を今橋商事へ三九一九万円で売却したこと、これに先立ち原告が右土地を買受けるに際して土地所有者千田正治に二三六二万円、借地権者長岡倖江に八七〇万円、不動産仲介業者松田商事他一名に八七万円、合計三三一九万円支払ったことは当事者間に争いがない。したがって、右土地の売買に伴なう譲渡所得の存否およびその金額に関する争点は、借地権者宮橋清に対し原告の支払った立退料の額が原告主張の六〇〇万円であるか、それとも被告主張の三六〇万円であるか(双方の主張額の差二四〇万円が被告認定の譲渡益である。)の一点に帰着する。

ところで、原告は宮橋に対する立退料支払額を被告が誤って認定した根拠として、当時東京地方の不動産売買において主として税金対策の目的から一般的に行われていた表、裏の二重契約締結の慣行を主張している。なるほど、≪証拠省略≫によれば、当時東京地方においては地価の高騰とこれに伴なう所得税率の累進化等の理由から、土地売買による譲渡所得等の税負担をできるだけ低額に押える目的で売買契約の際、いわゆる表契約と裏契約の二通の契約書を作成し、税務署への申告に用いる表契約書には真実の契約である裏契約で定められた金額の約六割相当を記載することが可成り行われていた事実が認められ、湯島土地の場合も土地所有者千田、借地権者長岡両名はいずれも当初所轄税務署に対して原告より受領した前記各金額の約六割にあたる表金額で申告を行なったが、その後原告が本件審査請求の段階で裏金額を申告したため税務署にこれが発覚し差額の税金を追徴されたこと、および千田は原告から右申告により迷惑をかけた謝罪の趣旨でその番頭を通じ、追徴税額に相当する約八〇万円の支払をうけたことが認められる。

しかし、≪証拠省略≫によれば、宮橋は自己の借地権を原告へ売却してから約一〇日後に代替物件として近隣の東京都文京区湯島天神町二の三〇所在の宅地および建物を第三者から四二〇万円で買受けたため、当時の租税特別措置法三五条二項に定める居住用財産買換えの場合の特例により譲渡所得は存在しなかったものとみなされたことが認められる。そして、右各証拠によれば、宮橋は税理士でありしかも湯島土地の借地権を売却して直ちに代替物件を取得することは当初からの既定方針であったことが認められるから、職業柄税法の各種規程に精進している同人が前記居住用財産買換えの場合における非課税の特典を知悉していたことは推測するに難くなく、それにも拘らずあえて、後に税務署により二重契約の事実を発見されて追及をうけ、ひいては自己の職業上の資格にまで影響を及ぼす危険を冒してまで二重契約をする必要は極めて乏しかったといわなければならない。しかも、≪証拠省略≫によれば、宮橋は昭和二八年頃湯島土地の借地権および右土地上の建物を買受けたが、数年前から地主の千田正治と紛争を生じ、訴訟に持ち込まれたものの依頼した弁護士の訴訟活動上の手落ちもあって訴訟の形勢は極めて不利な方向に傾いていたこと、右土地における長岡の借地部分は上野広小路交差点より本郷方面へ向う都電通りから南方へ入った路地に面しているが、宮橋の借地部分は長岡のそれの裏側に所在する袋地であったことが認められ、これらの点よりみると宮橋のいう借地権価格が長岡に支払われた借地権価格八七〇万円に比し甚だしく低くすぎるとは認められない。さらに、前記認定のように元来売主の利益のためにされたのであるから、裏金額が発覚しても徳義上はともかく支払義務のない追徴税額約八〇万円を原告が千田に支払ったことを考え合せると、原告側より宮橋に対し支払われた立退料は六〇〇万円である旨述べる≪証拠省略≫はたやすく信用できず、原告と宮橋間の借地権売買には表、裏の二重契約は存在せず、立退料として原告側より支払をうけた金額は三六〇万円である旨述べる≪証拠省略≫は信用するに値するものといわなければならない。

よって、宮橋に対して原告の支払った立退料の金額は、被告の認定どおり三六〇万円と認めるのが相当であるから、この点に関する原告の主張は理由がない。

(二)  三鷹土地について

原告が昭和三四年中に三鷹土地を今橋商事へ一三六〇万円で売却したこと、これに先立ち原告が右土地を買受けるに際し六〇万円を不動産仲介業者松田商事他一名に対する手数料として支払ったことは当事者間に争いがない。

したがって、右土地の売買に伴なう譲渡所得の存否およびその金額に関する争点は、原告の支払った立退料を含む右土地代金が原告主張の一三〇〇万円であるか、それとも被告主張の八〇〇万円であるか(双方の主張額の差五〇〇万円が被告認定の譲渡金である。)の一点に帰着する。

ところで、原告に対する右土地の売主である美多加堂が株式会社であることは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、譲渡所得等の税負担を低額に押えるための前記表、裏の二重契約は主として個人間の土地売買について行われていたものであって、法人の場合には税務署による会計帳簿検査の関係などから発覚の危険性が大きく、そのため殆んど行なわれていなかったこと、美多加堂の代表取締役社長であった杉田稔は右土地の売却をかねてから望んでおり、不動産仲介業者横田勝義に手取額八〇〇万円で売却方の斡旋を依頼すると共に、その旨の新聞広告等も屡々出していたことが認められるから、右土地の売買については、表、裏の二重契約は存在せず、その売買代金は八〇〇万円であった旨述べる≪証拠省略≫は信用するに足るものというべく、これに反し、美多加堂と立退料を含む代金一三〇〇万円の売買契約をしたとする≪証拠省略≫はたやすく信用することができない。したがって、原告より支払われた右土地代金は被告の認定どおり八〇〇万円であると認めるのが相当である。

しかし、≪証拠省略≫によれば、右土地上に存在する美多加堂所有建物三棟中二棟には、以前から岩本こと崔点金が正当な占有権限を有することなく居住していたので、杉田は右土地売却の際における崔に対する家屋明渡交渉の事務も横田に一任していたこと、右土地売買関係者の間では崔に対する立退料の問題が現実に話題に昇っていたが、売買成立後同人は自動車を購入するなど急に羽振りの良くなった事実が認められる。ところで、一般に不法占拠者といえども、自力救済の禁止されている現行法制下では裁判等の訴訟手続を通じて比較的長期間の日時をかけることを辞さない限り、これを即座に立退かせるためには事実上或る程度の立退料を支払わざるを得ないと考えられるが、≪証拠省略≫によれば、崔は売買成立後右土地から立退いたにも拘らず、美多加堂から崔に対する立退料は全く支払われなかったことが認められるから、これに前認定事実を合せ考えると原告より或る程度立退料としての金員が支払われているものと認めるのが自然である。そうすると、杉田が右土地代金として八〇〇万円しか受領していないことより、直ちに右土地売買に関して原告の支出した金員は右八〇〇万円と前記松田商事他一名に対する手数料六〇万円の合計八六〇万円以外に存在しないと断定することは早計のそしりを免れないと考えられる。

そこで、問題は原告より横田を通じてか、或は直接崔に対して支払われたものと考えられる立退料の額であるが、証人古林寿生、杉田稔の各証言により真正に成立したものと認められる甲第二号証には、原告より崔に対する立退料として五〇〇万円支払われた旨の記載がなされているが、証人古林寿生、同小嶋博の各証言によれば、右甲第二号証は本件更正処分後審査請求の段階において古林が一方的にその内容を記したうえこれを小嶋宛郵送し、作成名義人たる同人は右文書に署名捺印を行なったのみであること、右書面は古林が当時の記憶に従って記載したものであるが、同人としては美多加堂社長に一三〇〇万円を一括交付し横田勝義に五〇〇万円を直接交付したことはないと証言し首尾一貫していないことが認められ、また土地代金八〇〇万円と比べてみて立退料五〇〇万円は不法占拠者に対するものとしては異常な高額であるといわざるを得ないので、右記載はにわかに信用することはできない。一方、同様に証人古林寿生、同杉田稔の各証言により真正に成立したものと認められる甲第一号証には、崔が二〇〇万円受領の事実を認めている旨の記載がある。ところで、右甲第一号証も本件更正処分後審査請求の段階において作成されたものであることが前記各証人の証言により認められるから、その証明力に若干疑問の存することは前記甲第二号証と同様であるが、後者は前記のとおり原告側において一方的に内容を作成、郵送したものに作成名義人が署名捺印を行なったに過ぎないのに反し、前者はこれを作成する際古林の誘導があったにも拘らず、その作成名義人たる杉田は可成り強硬に自己の記憶に基づく記載を主張したため、古林も杉田の言分に従って内容を記載して同人の署名捺印を得たものであることが証人古林寿生の証言により認められるから、前者の右記載内容は後者のそれと異なりある程度信用するに足るものということができる。そして、以上認定の諸事情を合せ考えるときは、他に原告より立退料として支払われた金額を認めるべき確証の存しないことに照らし、原告が美多加堂に対する土地代金八〇〇万円以外に立退料等として支出した金額は少なくとも二〇〇万円を下ることはなかったと認めるのが相当であるが、なお右金額以上を認めることは困難であるといわざるを得ない(もっとも、右甲第一号証には、横田が原告側より五〇〇万円を受領し、このうち三〇〇万円を着服しているらしいとの記載がみられるが、右記載は前記二〇〇万円の場合の記載とは異なり、杉田が単なる自己の推測を述べたものに過ぎないことが証人杉田稔の証言によって明らかであるから、原告より横田へ五〇〇万円が支払われたことの確証となるべき性質のものではないとみるのが相当である。)。

なお、右の点に関連して原告は、原告より不動産仲介業者に対して六〇万円の手数料が支払われている点を捉え、もし立退料を含む右土地の売買代金が八〇〇万円であるとすれば、これに対する手数料率は七・五パーセントとなり、東京における不動産仲介業者の手数料制限規定の三ないし五パーセントを遙かに超過しており不自然であると主張する。≪証拠省略≫によれば、当時東京方面の不動産仲介業者の手数料率は三パーセントプラス六万円程度が相場であったことが認められるが、右の手数料率はあくまで売買当事者の一方に対するものであり、一般に仲介業者は委託をうけていない当事者に対しても手数料を請求しうると解すべきであるから、当事者の一方から全く手数料の支払を得られない仲介業者は他方の当事者に対して所定の手数料率の二倍を請求しうることとなるわけである。これを本件についてみると、≪証拠省略≫によれば、右土地の売買には元付業者(売主側)として横田、買付業者(買主側)として小嶋、その中間に青木の各仲介業者が介在したが、右売買は売主が手取額八〇〇万円を主張し手数料を支払わない建前の契約であったため、売買成立後小嶋、青木両名は本来売主において一部の負担をなすべき青木の手数料をも含めて原告側に交渉し六〇万円の手数料の支払をうけたことが認められるばかりでなく、右金額は右土地の売買代金八〇〇万円を基準にすると前記三パーセントプラス六万円の手数料率の二倍額に相当することが明らかであるから、右報酬額が多少割高であるとしても、それだけで前記認定を左右することはできない(もっとも、このように解すると、元付業者横田が取得したものと推測される金額不明の手数料を右六〇万円に加えた場合、右二倍額を超過することになるが、弁論の全趣旨によれば前記の如く原告が土地代金以外に支払ったものとみられる二〇〇万円は、原告においてこのうち横田に対する手数料と崔に対する立退料の配分を明確に定めたうえ横田ないし崔に交付されたものではないことが推認されるうえ、その場合には基準額も八〇〇万円を超えるのが当然であるから、このことは必ずしも右判断の妨げとなるものではないと解される。)。

よって、右土地売買に関し、被告認定額の八六〇万円以外に五〇〇万円支払ったとする原告の主張は、二〇〇万円の限度において理由がある。

(三)  相模原土地について

原告が昭和三五年中に相模原土地を東洋不動産へ六七四万円で売却したことは当事者間に争いがない。

したがって、右土地の売買に伴なう譲渡所得の存否およびその金額に関する争点は、原告が右土地を買受けるに際して支払った金員が原告主張の土地代金六四九万円、不動産仲介業者に対する手数料二五万円(合計六七四万)であるか、それとも被告主張の土地代金五七八万円、仲介業者に対する手数料二〇万円(合計五九八万円)であるか(双方の各主張額の差合計七六万円が被告認定の譲渡益である。)の二点に帰着する。

≪証拠省略≫によれば、右土地は各隣接する榎本はる所有の三五・五坪(以下(A)土地という。)、同人の娘である山田芳子所有の七五・四九坪(以下(B)土地という。)、茶木ソヨ所有の二八・六七坪(以下(C)土地という。)の三筆から成り、そのいずれについても不動産仲介業者小平喜七もしくは東都工栄株式会社(同会社の不動産業務を専門に扱っていた湯島出張所は事実上小平が単独で切り廻していた。)が一旦買主となり、右(A)、(B)、(C)土地を各所有者より買受け、しかる後に原告へ譲渡されるといういわゆる介入行為の形式がとられたが、これは主として、元付業者の立場にあった小平が各所有者より安価に買い上げ、これより高い価格で原告へ売却し、その差額を利得しようとする意図に基づくものであったことが認められる。そして、≪証拠省略≫によれば、(C)土地については表、裏の二重契約はなされず、小平は所有者茶木より一三〇万円で買受け、これを原告へ一三六万円で売却したことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

そこで、問題となるのは(A)、(B)各土地について原告より小平ないし東都工栄へ支払われた金額である。≪証拠省略≫には(A)、(B)両土地を東都工栄から原告へ三六〇万円で売却する旨の記載が存在するが、≪証拠省略≫によれば右の売買には当初二重契約が行なわれ、右金額は表金額であることが認められ、一方≪証拠省略≫には小平が古林、小嶋立会のもとに(A)、(B)両土地代金として四四二万円受領した旨、また≪証拠省略≫には原告への譲渡代金四四二万円との、各記載がそれぞれあることからみて、前記二重契約における裏金額は四四二万円であったことが推測される。そして、小平の前記介入行為の趣旨からすると、同人が(A)、(B)両土地を買受けるために支払った代金額は右四四二万円より当然低くなければならない筈であるが、≪証拠省略≫には榎本、山田よりの買受価格三六〇万円との記載があり、小平と原告間の売買における裏金額が四四二万円であったことを裏付けている。

もっとも、右三六〇万円が(A)、(B)両土地代金として小平より榎本、山田両名に支払われた金額であるとすれば、(C)土地の土地代金一三〇万円に比して、相互に隣接する土地で売却時期もほぼ同じであるにも拘らずその坪当り価格において可成りの差が生ずることとなり((A)、(B)両土地の坪価約三万二四〇〇円、(C)土地の坪価約四五、三〇〇円)、均衡を失し不自然の感がないではない。しかし、≪証拠省略≫によれば、(A)、(B)両土地のうち(B)土地は、(C)土地同様相模原駅前通りに面しその路線価は相等しいものとみられるが、(A)土地は(B)、(C)両土地の裏側にある完全な袋地であるうえ、(C)土地は(A)、(B)両土地について小平が榎本、山田両名との売買契約を成立させた後、原告側より土地の恰好が悪く利用上困るので(C)土地を付け加えて買受けたいとの要望があったため、小平が急拠所有者茶木と交渉を行ない非常に買い急いだこと、(A)土地の所有者榎本はるの夫であり、(A)、(B)両土地の売買に関しては実質上の売主として小平との折衝にあたった榎本勝仁は既に昭和二九年一一月一九日横浜地方裁判所において破産宣告をうけ窮迫の状況にあり、著しく金繰りに苦慮していたことがそれぞれ認められるので、三六〇万円もしくはこれを若干上廻る額をもって(A)、(B)両土地が小平に売却されたとしても経験則上不合理といえる程安価とはいえない。

なお、≪証拠省略≫によれば、小平ないし東都工栄は相模原土地の売買に関連して、(1)不動産仲介業者松田商事へ一〇万円、(2)小嶋博へ三万二〇〇〇円、(3)榎本勝仁へ(C)土地所有者茶木を紹介して貰った礼金として五万円、(4)不動産仲介業者大内辰次郎へ約一〇万円、(5)同業者草壁某へ五万円、(6)同業者塩沢、川井両名へ約四万五〇〇〇円、合計約三八万円を支弁し、(証人吉井ヒサの証言により真正に成立したものと認められる甲第三号証によると、小平は榎本勝仁破産管財人吉井元市に家屋売買代金一七万円を支払っていることが認められるが、成立に争いのない乙第五号証の一、二によれば前記相模原土地とは別個の地上建物について支払われたことが認められるので本件とは関係がない。)なお(A)、(B)両土地について売買契約成立後、(B)土地所有者の山田芳子が突然変死するという事態が生じたり、榎本勝仁が(B)土地上に存在した建物の収去費用を改めて要求したりしたため、登行手続の履践に手間どり、右以外にも諸経費の支弁がかさみ、介入行為により中間利得を収めようとした小平の当初の意図に反する結果となったことが認められるが、前記各証拠によれば、これらが支弁されたのはいずれも(A)、(B)および(C)各土地について、小平ないし東都工栄と各土地所有者間ならびに小平ないし東都工栄と原告間の各売買契約が成立した後であって、いずれも小平ないし東都工栄が原告から受領した代金中から支出されたにもかかわらず、同人らと原告間に売買代金の増額変更もされなかったことが明らかであるから、前記支出額は(A)、(B)両土地について原告より支払われた金額に直接関係があるとはいえない。

次に、原告より松田商事へ支払われた手数料の額であるが、証人小嶋博、同古林寿生の各証言により真正に成立したものと認められる甲第五号証の一には二五万円との原告主張に副う記載があり、証人古林寿生、同小嶋博の各証言中にも同様の部分があるが、右各証言によれば右甲第五号証の一は本件審査請求の段階で古林が一方的に作成のうえ郵送したものに小嶋が署名捺印したものに過ぎず、同人らの証言によってもこれを裏づける資料は何もないことが認められる。他方≪証拠省略≫によれば原告と松田商事間における手数料取決額は二〇万円である旨小嶋より報告があったことが認められるから、甲第五号証の一中の右記載および証人小嶋博、同古林寿生の各証言はいずれもたやすく信用することができない。したがって、原告の支出した仲介手数料は被告主張の二〇万円にとどまるものというべきである。

よって、相模原土地に関する原告の主張はいずれも理由がない。

三、所得金額、所得税額、過少申告加算税について

以上によると、原告の昭和三四年分所得税については、結局三鷹土地の譲渡益が被告認定額より二〇〇万円少ないことになるから、これに基づき同年分所得金額を計算すると七七六万四、九五四円となり、これより当事者間に争いのない各種所得控除一九万七、五〇〇円を控除したうえ昭和四二年法律一四号による改正前の国税通則法九〇条一項により一〇〇円未満の端数を切り捨てた七五六万七四〇〇円が課税標準たる総所得金額となる。したがって、当時の所得税法一三条一項により算出した金額より当事者間に争いのない源泉徴収税額九四万八〇五〇円を控除した二〇四万五六五〇円が法定の所得税額とみなされ、過少申告加算税は国税通則法六五条一項、九〇条三項により右所得税額から原告の申告した八二万二八〇円を控除したうえ一〇〇〇円末満の端数を切り捨てた金額に基づいて計算すると六万一二五〇円となる。

原告の昭和三五年分所得税については、相模原土地に関する原告の主張が認められない以上、その所得金額、所得税額、過少申告加算税がすべて被告の認定どおりであることはいうまでもない。

四、結論

以上の次第で、被告のした本件各更正および賦課決定処分は、昭和三五年分について、および昭和三四年分について前記三、において算出した各金額の範囲において、それぞれ適法であるが、昭和三四年分の右各金額を超える部分は違法というべきである。よって原告の本訴請求中、昭和三四年分について右各金額を超える部分の取消を求める限度において理由があるから正当として認容し、その余の請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 五十部一夫 裁判官 大沼容之 裁判官金田智行は転任につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 五十部一夫)

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